【播州赤穂】赤穂へ生牡蠣を食べに行く
11月に入った頃の話です。
赤穂市へ生牡蠣を食べに行ってきました。
討ち入りではないけど播州赤穂へ
11月と言えばズワイガニの漁期も始まりますし、鍋ものに美味しい海産物が出回るようになります。
”r”が付く月でもありますし、ふ、と「生牡蠣食べたいなぁ」と思ってしまったのです。
子供の頃は『牡蠣は"r"が付く月じゃないと危ない』なんて考えたこともなく、夏は海水浴でテトラポッドに張り付いている牡蠣をマイナスドライバーでこじ開けてその場でおやつ代わりに食べていました。
不思議と、お腹を壊した記憶はないんですよね。
関西からであれば三重県鳥羽、若狭湾近辺、瀬戸内あたりが思い浮かぶのですけれど、ネットで検索したところ牡蠣小屋(焼きや蒸し)が多いようです。
11月に入ったばかりという時期的なことも関係しているのかもしれません。
食べたいのは生牡蠣です。
生牡蠣ないかなぁ、と見ていくと、赤穂市にありました。
『かましま水産 赤穂店』さん
瀬戸内の牡蠣産地は相生や日生や牛窓など幾つかありますけれど『坂越(さこし)』もその一つ。かましま水産さんはその坂越で養殖されているようです。
とはいえ、駅から徒歩で行くにはちょっと遠い。
混みあう阪神間に車を出すのもめんどい。と思っておりましたら直営店舗が播州赤穂駅の近くにありました。
行ってきました、播州赤穂まで。
JR播州赤穂駅。
姫路を過ぎてこの辺りまで来ると、ローカル色が強くなってきます。
発展し過ぎると牡蠣の養殖にも悪い影響が出るでしょうからこれぐらいがいいのかもしれません。
一次産業を抱えている自治体共通の悩みでしょう。
駅コンコースの壁面には『赤穂義士祭』の案内が大きく張り出されていました。
脚色された物語としては面白いのでしょうけど、歴史的には『ろくでもない話』だと思っていますよ。
個人的には好きな話ではありませんけれど、題材にしてのお祭りも地域振興かなと思います。
双方の人物像などを公平に評価した"但し書き”などがあればまだ好感をもてたんですけどねぇ。
赤穂市役所の正面
駅の南口から出て、マップを見ながらふらふら~っと歩いておりましたら、
見えてまいりました、壁一面の「オイスター」の文字が。
写真には写っていませんが、右手に赤穂市役所がありますので、市役所を目指せばわかりやすいかと思います。
11時の開店少し前に行ったのですが、すでに3名が待っておられました。
やはり人気店なんですねぇ。
店構えや店内は写し忘れていたようです。
渇望するが如く、とにかく生牡蠣を食べたかったので、
注文したのは生牡蠣10個セット。
かましま水産さんが自社で養殖されたご自慢の一品!
大ぶりの牡蠣が円形に並べられて出てきました。
カットされた柚子が乗り、そして中央にはゴマ油の入った皿。
一つ一つの身が大きいんです。
貝柱は切ってあるので、果汁とゴマ油をかけたらそのまま殻ごと持ち上げて、チュルっと口の中に滑り込ませます。
ゴマ油でいただいたのは初めてでしたけど、柑橘系の果汁と相まって生臭さを消してくれますね。
お箸でつまんでみても、重量感があります。
フライにしたり鍋に入れても美味しいですけど、やっぱり牡蠣は生が最高です。
スポンサーリンク
海鮮丼も併せて
牡蠣を半分食べて少し落ち着いたところで、海鮮丼を追加しました。
こちらにも牡蠣の煮物と牡蠣のお吸い物が付きます。
急に光が差し込んで白っぽく写ってしまったのが残念です。
やはり生牡蠣は美味しい!
坂越産なら年中食べることができるようなので、また来たいと思います。
ごちそうさまでした。
ついでに赤穂城址へ
牡蠣のためだけに来たのですけれど、まぁついでに城跡を見物です。
JR駅の南口からまっすぐ歩いて下ると10分ほどで到着する駅近物件です。
今は陸地になっていますが江戸時代には海に面したお城だったらしく、直接荷受けもできたそうです。
瀬戸内航路の要衝として、海運も管理していたとても重要なお城の殿様が『あんなこと』をしでかすだなんて・・・。
外堀の内側にある『大石邸長屋門』
ご家老なのでお城の中に住めますけど、何かあったらすぐに呼び出される場所に住むって過労で倒れませんかね。
まぁ、松之廊下スキャンダルを一番に知らされて、失業→大暴れ→切腹なので過労死ではないですけれど。
二の丸庭園は整備中でした。
他にも、発掘作業をしている最中の場所があってあまり見て回れるところは多くなかったですね。
スポンサーリンク
本丸
赤穂城本丸跡です。
内部の建物は何もないのですが、昭和初めから約50年ちょっとの間、ここに高等学校の校舎があったらしいです。
すごいですね。
もしヤンチャな他校との抗争なんかがあって、攻めてこられたらリアル攻城戦だったんでしょうか(笑)
建物はなくて、もちろん天守閣もありませんが天守台はあり、登ることはできました。
川横にある、城への舟屋を見張るためでしょうけど、城の他に高い建物がない時代ですから、城下町の様子もよく見えたことでしょう。
実際に上ってみるとこんな感じですね。
江戸時代は街中はほとんど平屋建てだったでしょうから、かなり遠くまで見えたかもしれません。
景観としては西方向にあるあの高い煙突やハコ物が邪魔ですね。
直下の本丸庭園を愛でて、今日は終了!